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マダムMizkoの海外diary
Mizko流コミュニケーション
2011年04月06日
写真:大好きな枝垂れ桜も満開!今年はこの美しさが切ない…。

私は言葉を並べ、ぺらぺら語る事だけがコミュニケーションだとは思っていません。
先日Bacio e abbraccio のお話しをしましたが、これも大事なコミュニケーションのひとつですし、育った環境と海外生活から、私にとってはスキンシップはとても大事なコミュニケーションの一つです。

ある知人のお父様のお葬式に行った時でした。彼はまだまだ若いけれど、長男で喪主を務めていました。その立場から涙も見せずに悲しみに絶えている姿に、私の心は痛みました。私はお悔やみの言葉は一切言わず、人目も気にせず彼の手を取り、強く握りました。それがその時の私の全ての気持ちでした。
その後知人は、「あの時、本当に嬉しかったです。」と言っていましたが、そうしたスキンシップは時に在り来たりの言葉より、Mizkoの気持ちをストレートに伝える一番の方法だと思っています。それに、そのような場でも在り来たりな事をいう事がマナーだとも思ってはいません。大事なことは自分の気持ちを相手に伝えること。
特に心を傷めている相手、悲しんでいる相手に言葉でああだこうだと慰めるより、肩を抱いたり、背中を擦ったり、顔を撫でたり、抱きしめたりと私は無言のコミュニケーションで接することが多いです。と言うより私もそうされて来たので、私にはそうすることが自然。

実は…つい最近、私は大事な人を亡くしました。
年上の女性ですが、私達は再会の喜びはハグで表し、一緒の時間の楽しさはいつも手を取り合って表現していたように思います。
そんな彼女が病気になり、すっかりやせ細った姿になってしまった時、私にはとても掛けて上げる言葉なんて見つけ出せずに、私は隣にピッタリと寄り添い、彼女の骨と皮になってしまった右手を何度も擦っていました。時々彼女も私の手を弱弱しく握り返しました。それこそ無言のコミュニケーションでした。そしてそれが彼女に会った最後でした。
私は彼女の死を知らされてから、考えました…最後の私達の会話は何だっただろう?
それは1月の終わりの電話の時でした。話の途中で息が苦しそうになったので、「じゃあお大事に」と電話を切る時でした。私の彼女へ対する思いが口に出ました。
「私、愛していますから」…それが私が彼女に言った最後の言葉になりました。
「うん。有難う。」…呼吸が苦しい中の言葉でしたが、私にははっきり聞こえました。それが彼女が私に言った最後の言葉でした。
日本では、女性同士でそんな事を言い合うと変な誤解されるかもしれませんね。
私にとっては正直な気持ちでしたし、彼女には人生の色々なことを教えて頂きました。そんな感謝の気持ちも含めて、私の心が叫んだんだと思います。
彼女を失った悲しみは深いですが、最後に自分の気持ちを伝えられたことは良かったと思っています。いいえ伝えられなかったら後悔していた・・・。

今日本は悲しみの真っ只中。
日本人の風習のような『本音と建前』…『気持ちは胸に秘めて、本音を言わない』…『相手の言葉の裏を読む』…『一言って、十理解して欲しい』…『白黒つけずにオブラートを被せたようにグレーの事しか言わない』……。こんなコミュニケーション方法が普段の生活にあるような国だと、こんな肝心な時、政府や東電の会見を聞いても、私は真実がどこにあるのかと悩んでしまいます。
そして国のリーダーの被災地の皆さんへの「頑張りましょう!」の連呼が、心が籠ったコミュニケーションとはとても思えませんでした。