ミラノ在住のマダムMizkoが世界の街を歩きに歩いて見つけた
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マダムMizkoの海外diary
マダムMizkoの海外diary:314
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2011年05月27日


(ミラノ5月26日)
暑い暑~い!
Readerの皆さん、連日の「暑い!」の連発ごめんなさ~~い!
でもミラノ…すっかり夏。暑いです。
でも夏女のMizkoは、暑い暑いと言いながら、この暑さがたまらなく好き!
別にビーチに行ったわけでもないのに、すっかり日焼け顔。
赤くもならずにブラウン顔になり、その色は日毎に黒さを増し、国籍不明になっています。

今日木曜日は、毎週自宅の横道でメルカート(マーケット)が開かれます。
メルカートではお野菜、くだもの、チーズ、パン、グリルチキン、お魚などに加え、洋服、靴、
アクササリーが売られ、ミラネーゼにとってメルカートはとても大切なお買い物の場所。
毎日どこかしらで開かれていて、安いものから何万円もする靴や何十万円もする毛皮まで売られます…路上で。

青山アニエス・ベーの皆さん、今日のMizkoのファッションは去年買ったウエストラインがレースのように透けている黒のワンピース。日に焼けた肌に黒はミラネーゼの勝負服?!
今の日焼け具合がこの黒のワンピースにぴったり!ジャポネーゼミラネーゼ(日本人のミラネーゼ)のMizkoがミラネーゼに対抗!

そんなファッションでメルカートへ・・・。
顔見知りのお店のお兄さんやおばさん達が久々に私を顔を見て、オーバーな声を出し"Ciao!Bella !" " Ciao ! Cara !"と声を掛けてくる。
さくらんぼにメロンに、グリーンアスパラガス、トマト…を即ゲットしてつまみ食い。う~ん!さくらんぼもトマトも美味しい!!!
それにしても歩けぬくらいの人混み。さすがにお洒落の町ミラノ。景気の良し悪しに関係なく、お洋服、アクセサリー、靴…と特に女性の皆さんの消費意欲はすごいです。
人は出ていても閑古鳥なく表参道のお店と大違い。
途中通り雨……。ミラネーゼの皆さんは、濡れようが、我関せずと言った感じでお買い物を続けていました。

写真:ミラネーゼの皆さんは、矢張りお鍋よりファッションに興味があるようです。

追伸:自宅の近くの下着やさんで、とんでもない男性下着のディスプレイを発見。
Mizko、見た途端笑いが…どうにも止まらな~~い状態に。
人目なんて気にせず撮影しましたが、それを日記でご紹介しようか悩んでいます。
Readerの皆さん…見たいかな~~???
2011年05月26日

(ミラノ5月25日)
写真:Mizkoのご近所さんです。
「この写真、Part 1と同じじゃな~~い!」なんて言わないで下さい。違いますよ~!
只今午後8時。まだ明るく暑いです。
西日避けでシャッターを少し閉めているお宅もあります。
私はMizkoの枯れ園で、冷えたランブルスコ(赤のスパークリングワイン)を飲みながら、この日記を認めています。
またつばめが戻って来て、私の頭の上を飛び回っています。
この時期はまだzanzareが少ないので快適です!
この日記のReaderの方方!zanzareを覚えていらっしゃいますか?
思い出してくださいね。


日本は7時間先の26日午前3時・・・あなたは寝ているでしょうか…宵っ張りだから起きているかもしれませんね。
2011年05月26日

(ミラノ5月25日)
午後2時には気温37度のミラノです。
今日のランチは待ちにまった日本食レストラン。
東京のオフィスで、
私、「今日は”わかば”のランチが食べたいな~~。」
スタッフT、「じゃあ行きましょうよ!」
私、「だってミラノの”わかば”だもん!」…と言ったことがありました。
東京で恋しくなる日本食のレストラン、”わかば”……それも中国の方方がやっているお店です。。
このお店に行くようになったいきさつはこの日記でお話しましたが、Mizko、大変気に入っています。
今日は食べたかったカツ丼定食(写真)。今日はわかめとタコ、海老の酢の物が添えられていました。これが毎回違うので楽しみ。それにフルーツとお味噌汁が付いて12ユーロ。
キリンの生ビールも飲んじゃう!よろこんで~~~!
いやいやここのカツ丼が恋しかったです…東京で!!!
青山の昔からあるお店で、半かけそばと半カツ丼で1200円で食べた時も、表参道寄りのお店でカツ丼を食べた時も、美味しくない!!!
”わかば”のかつは、ほとんど脂身がないし、カラッと揚がっている。
お味噌汁も美味しい!お店に活気もあるし、中国人の板前さん姿も決まっているし、愛想も東京のお店よりずっといい。店員さんも食べ物の日本語名をちゃんと知っているし、お店は小奇麗だし文句なし。暑い中入店して、さっと出される冷えたウーロン茶も嬉しい!

勤勉な中国の人達に、日本の味、ホスピタリティー、そして日本語まで収得されていく…。
それに加えて何の感情もなく、ただマニュアル通りのことしか言えない、まったく気が利かない青山辺りの店員…。
表参道は都会の真ん中なのに、簡単な英語さえも理解出来ない…。
”わかば”では、彼らに感心するのと、美味しさを満喫するのと同時に、日本人として情けなくなる…というのが正直なところです。

さすがにボリューム満点で、ご飯を残してしまいましたが、う~~ん!美味しかった!!!
2011年05月25日

写真:Mizkoのご近所さんです。
シャッターが閉まっているお宅はまだお休みになっているのでしょう。
窓の外にシャッターがあり、寝る時には窓は勿論、シャッターも閉めます。当然外出する時も!!(余程泥棒が入るには不可能な窓は、寝る時には開けていますが、夏のバカンスの季節には、どのシャッターもピタリと閉められます。)
シャッターの外に更に鉄格子のドアがあるお宅もあります。
地震に備えてのリュックサックの用意は必要ありませんが、日頃からこうした防犯が大切なミラノの暮らしです。

ミラノ只今午前7時半。
沢山のツバメが空を舞っていますよ

暑くて良く眠れぬ夜を過ごし、今はミラノの家で私の一番のお気に入りの場所、本来ならばMizkoの花園…でも今は枯れ園のテラスでこの日記を認めています。
生き残ったアイビーと夾竹桃の植木にお水を上げ、コーヒータイムに急いでキーボードを叩いています。急ぐ理由はだんだん暑くなって来た!!!あと1時間くらいでこのテラスはまた40度に達するでしょう。

去年は冷夏でしたが、本来イタリアの夏は長いですし、日射時間も長い。それなのに、公共機関の乗り物やお店にクーラーがないことも多いので、そうそう自宅で、クーラーで体を今から甘やかしてはいられません。暑い時には薄着する、水を浴びる、熱いお風呂で汗をかく、辛いものを食べて汗を出す、夏野菜で体を冷やす…そう言った原始的(?)な方法で暑さを凌いでいます。そうしたら東京の夏にあった肩こり、頭痛がなくなりました。気付かないうちに冷房病だったのかもしれません。それにイタリアでは日本では出来ないような薄着も出来ますからね!!

それにしても暑い暑い暑~~い。
ごめんなさ~~い!ちょっと日記中断します。










2011年05月24日

Readerの皆さん、Buon giorno!
バンコクから飛行時間11時間。Mizko…半年ぶりにミラノの自宅に戻りました。まだバンコクにいらっしゃるReaderの方は直ちにミラノにいらして下さ~い。

ミラノはもう真夏!太陽ギラギラ暑いです。午前9時過ぎでテラスの気温は40度(写真)。留守中テラスのMizkoの花園はすっかり枯れ園になってしまい、ご近所のお花一杯のテラスやバルコニーの中、我が家のテラスは可哀相。暑い中先ずは早速枯れ草のお掃除。
そのためバンコク滞在とミラノ一日ですっかりミラネーゼ並みの日焼けをGet。
日本で予想していた通り、儘ならないイタリア生活。長い間留守をしていて、さっと生活開始とは行きませぬ。
イタリア携帯、使えない。
お湯、出ない。
インターネット、繋がらない。
でも空き巣に入られなかっただけラッキー!

ミラノでの生活復興(?)…特に枯れ園を花園にするまでに時間がかかりそう…でも必ず花園にして皆さんに御披露しますから楽しみにしていて下さいね。

この時期のミラノが私は大好き!
7月8月にはバカンスでミラネーゼはいなくなり静かになってしまうので、今からそれまでの期間がミラネーゼと共に夏が楽しめます。
夜は9時頃まで明るいし、特に今は朝夕多くのつばめが空を舞います。
2011年05月21日

写真:このホテルに泊まった時良く食べるMizkoの朝食。ビーフヌードルスープにチリをたっぷり!食べ終わると夏のお風呂上りみたいに汗がダーーー!これが気持ちいい!

さてさてMizko、動き出しましたよ。
もう大人しくはしていませんよ~~!あ~そうですね!日本でも大人しかったわけではありませんが、もう遠慮も躊躇もせずに、ガンガン行きます!私らしく。

先ずはファッション…。
日本では着ないようなファッションをここバンコクで思いっきり楽しんでいます。

青山のアニエス・ベーの皆さん、やっぱりサーモンピンクのワンピースはMizkoに似合っているようです。ここバンコクM.Oのホテル女性スタッフ達に褒められましたよ~~!

青山のクレールの皆さん、例のオレンジとイエローのキャミソール…日本ではランジェリーだけれど、思い切ってジーンズでトップスとして着ました。これまたホテルスタッフ達に褒められました。胸元が開きすぎだの、薄地だの、ここでは関係な~~い!

福山のコムサのかんちゃん、選んでくれたハットは上のキャミソールとぴったり!また選んでくれた靴は履き心地抜群で、ここバンコクでも活躍していますよ。

皆さん、本当に有難う!あなた達のお陰で、ステキなファッションに包まれ、ここバンコクでの日々を過ごしています。

多分Mizkoのファッションのある一面しか知らない方には驚かれるかも…
Mizkoは色々な恰好をするんですよ~~!

それにしても蒸し暑~~~い!
何にもしないで座っていても、汗がダラダラ。
ビールものんびり飲んでいては温まっちゃう。
その上に大好きなスパイシーなタイフードを食べて、またまた汗がど~っと吹き出して、あっという間にスッピン顔。お風呂上りのMizkoって感じになってしまう……。

テレビで、横浜のビアガーデンがオープンして、皆さんがビールを飲んでいるのを見ました。でもスーツを着ている!
こちらキャミソール一枚でもあつ~~~~い!でもこれ以上の薄着は出来ませぬ!
2011年05月19日
飛行機に乗り遅れたReaderの方はいっらしゃいませんか?
ちゃんとMizkoの旅に同行してくださいよ~~!

さて成田を飛び立ち約6時間……空港に出た途端、ムワーとした熱気と独特のにおいに包まれる……。迎えの車で20年来通っているM.Oホテルへ。
そこでは顔なじみのスタッフ達に”Welcome back!"と迎えられる。数え切れぬほど来ても本当に美しいホテルである。
あちこちに飾られている私の大好きなオーキッドの花…。
あ~いた!私にとってスペシャルな彼女…T。
相変わらず美しさが目に付く。
私に気付いたTは、美しい真っ黒な瞳を輝かせ、私に駆け寄り抱きつく。
賢く、美しく、どこまでもエレガントな彼女が毎回私に抱きつく度に、彼女に全く相手にされない男性諸君にMizkoは優越感を覚える。……というのも彼女が夢中な男性はただ一人、これまたとってもステキなご主人だけ。いろいろな国を旅してもなかなかお目にかかれないタイプのT…。若くてもこんなにステキな女性を知っていると、申し訳ないが、日本のテレビや町で見る、彼女と同じ位の年齢の女性がどうしても幼く見えてしまう。
彼女の美しさに酔いながら、冷えたジントニックでも飲むことにしよう。

さあ~~みなさん、Mizkoはどこにいるでしょうか?
サワディカー!と合掌の挨拶をする国…そう、タイ、バンコクです。

写真:本日はチャオプラヤ川を眺めながらの朝食。先ずはコーヒーで新聞に目を通す。
第一面は福島原発の放射線の記事…今後に期待が出来る記事ではない!一体どうなるの???

2011年05月18日
写真:成田ではやっぱり日本食

Readerの皆さん、飛行機に乗ってください。
行き先?Mizkoにお任せ下さい。
さあ空の旅をご一緒に・・・

2011年05月16日
写真:Mizkoの表参道の隠れ家の一つ。さあ~何のお店でしょう???


Readerの皆さん、ここのところ日記の更新をサボっていてごめんなさい。
只今Mizkoは旅支度をしています。さあそろそろ日本を発ちますよ!
今回の日本滞在は今までにない長さの半年。この間大震災もあり特別な滞在になってしまいました。
Readerの皆さんは、「行ってらっしゃ~~い」なんて言わずに、気持ちだけはいつも通りに(?)Mizkoの旅に同行して下さいね。

”いつも通り”に日本を発つ前のMizkoの心はメランコリー。
暫しの間でもあなたとの距離が出来るのは寂しい。
日本国内で会えないのとはちょっと違い、やっぱり海の向こうの遠い国へ行くんだとこんな時には距離を痛感します。

こんな気持ちと同時に、”いつも通り”に思います。
いえいえこれが私らしさ・・・。

石井ゆかりの「双子座」より

「あなたの本質は、安定のためだけの安定は、求めません。
無理にとどまろうとすることは、むしろ、不安定なのです。
鳥は飛んでこそ、鳥です。
あなたの心には翼が生えています。
この翼を使わないことは、どう考えても、不自然なのです。

あなたを本当に大切にする人は、あなたの翼のことを知っている人です。
あなたはおよそどんなことからでも、飛び出して自由に飛んでゆける人ですが、
そんなあなたが帰っていける森が、あなたを大切にしてくれる人の心なのだと思います。」

Mizko…双子座です。

あなたは私のことを「なかなかいないタイプ」だと言ってくれました。
それは私にはとっても嬉しい言葉でした。
Mizkoはスペシャルが大好き。
そして私自身もあなたの心の中のスペシャルになりたい!
だからまた翼を広げて飛んで行きます。
そして私が日本に戻った時には、緑一杯の森で迎えてください。
あなたに「スペシャル」だと思ってもらえるように、きっと色んな事を吸収して帰ります。




2011年05月08日

写真:Mizkoの隠れ家の一軒。青山で緑に囲まれてのテラスは爽快!
ジントニック…特にアフリカのサファリの後でジントニックを飲む。
マラリア予防と人は言うけれど!?


ゴールデンウィーク……ヨーロッパ人達の丸々1ヶ月の休暇はプラチナウィークと呼ぶのでしょうか?ではイタリア人のような夏に1~3ヶ月もの夏休みは何と呼びましょう??

今私の歯は歯石無しのぴっかぴか~~~!う~ん気持ちいい!!
海外を飛び回っている私には、健康管理は旅の基本ですが、半年に一度の歯のクリーニングとチェックアップも大切。それは、歯の場合は定期的なコントロールでいくらでも予防が出来るからです。

私のドクター達は、「科」によってそれぞれ国が違います。そして歯科は日本。
東京のとあるインターナショナルクリニックに私の行く歯科があります。
このクリニックは足を踏み入れた途端に外国にいるよう。日本人のスタッフ達の会話も質問表も英語。日本人の先生達も英語ぺらぺら。患者さんの国籍もさまざま。
以前の私の歯科の先生は、アメリカに長くいらしたことがある日本人の先生でしたが、ある日突然農業をすると言い、家族を連れてブラジルに移住してしまいました。
そして今回は初めての先生。電話で予約の際に先生のフルネームを伺ったら、完全な外国名。でも会ったら”ど日本人”!!
イギリス人の血を継ぎ日本で生まれ、16年間アメリカで開業していた先生でした。
このお二方の先生を見ても、先生方自身がインターナショナル!!!
人生には人の数だけ色々な生き方があるものだと思いました。

ドクターと言って忘れられないのが、ボツワナ?ナミビア?ジンバブエ?のどこかで、スコットランドの友人と経験したのが、メディスンマンという現地で呼ばれる、ドクターのような悪霊祓いのようなひと。
裸に下半身は鳥の羽根で出来たお相撲さんのまわしみたいなものを着けていて、狂ったように私達の前で踊る。離れているのに、汗臭さが漂って来る。その汗を飛び散すので、友人も眉をひそめている。そして動物の骨だの石だの木の実のようなものを地面に投げて、聞いたこともないような言語でなんか言っている……
私も友人もなんか解らないまま、そのパフェオーマンスに呆れていました。
そうして止めは口に水を含み、私と友人の顔を目掛けてプーッと吹きかけました。
(これには参りましたあ~~!気色わる~~い!)それで治療(?)は終了!
これも経験だと思い、どこも悪くはありませんでしたが、悪霊祓って健康にということで受けてみました。友人も私も何に対しても好奇心が旺盛なもので・・・。

私も彼女もあれから健康に暮らしていますが、あのメディスンマンのお陰なのかは確かではありません。
私達の暮らすこの地球上に、今なおこういう治療?を受けている人もいるのですから、これまた人生いろいろと思わずにはいられません。




2011年05月04日

日本に戻り早くも半年になってしまいました。
ミラノと東京の家を行き来するようになって、こんなに長い(?)日本での滞在は8年振り。
この間海外に住む外からの目でじっくり日本を観察(?)出来ました。

日本人はやっぱり考え方が真面目。特にイタリアのようなラテンの国に暮らしているとそう思います。
日本のあまりにもきちんきちんとしたメンタリティーを目の当たりにしていると、時にはイタリア的なルーズさも人生には必要じゃないかと思うようになりました。
もともとラテン的な性格なMizkoですが、まだまだラテン化し続けています。

日本には、こうでなければならない…みたいな固定観念が多すぎて、もっと自由でいいじゃない。なんでもかんでもそう型にはめなくてもいいじゃない。

大震災前の日本で「老後」と言う言葉を良く目にしたり、耳にしたりしました。「老い」を目の前にしている年齢ならともかく、20台後半や30代で将来年取った時の事を心配している。そんな時にイタリア人の友人達は「来るか来ないか分からない不確かな未来より、確実な今を大事に、そして出来るだけ楽しんで生きる。」といつも言っていました。
長い海外生活に加え多くの国々を旅して来ましたが、日本ほどこの「老後」と言う言葉に触れる国もなかなかありません。
でも大震災後は、不安だらけで一歩先さえも見えない日本になってしまいました。
今こそイタリア的考え方へモード変換は如何でしょうか?

ドイツのとある新聞の”彼氏求む””彼女求む”の欄の忘れられない記事…
”僕は身長180センチ。スポーツマン。旅行が趣味。一緒に旅行が出来る彼女募集。
78歳”
”私は小柄で、刺繍が大好きです。お料理も得意で家庭的。彼氏とお出掛けしたいです。
76歳”
午後のカフェでは出会って間もないと思われるそういう年代の方方のデートをよく目にします。皆さん、本当に人生を楽しんでいらっしゃる。お二人は周囲も気にせずチューしている…。ラブラブのそんなシーンを見ていると、恋には適齢期なんてない!と思います。
それに幾つになっても恋心が有る方は、決しておじいさんでもおばあさんでもなくお若い!私達の未来をこうしてステキに生きていらっしゃる方方もいらっしゃるのに、そんな未来をあまり早くから心配していたら、目の前のステキなことも見逃しそう。


先日はキュートなAちゃんとの女子会(!)。
まだまだ若いけれど、自分の考えをしっかり持っている彼女。今回の大震災でボロボロと男性の本性が見えた、それに人生感も変わったと言う彼女がこんなことを言っていました。
「いつ死ぬか分からないから、どれだけ残っているか分からない残りの人生は大切に、その時その時出来るだけ楽しく生きる!」……そう言う彼女には強さも感じられ、とても輝いて見えました。
Aちゃん、イタリアンモードへの変換済み!

今日の命に感謝!そして今のこの時を大切に!そして生き抜いてステキな未来に繋げたいものです♪

写真:私の大好きな地元表参道の鴨せいろ♪Aちゃんとの女子会のメニューでした。







2011年04月27日
写真:ドイツ、フランケン地方郊外にあるとあるレストラン。お花も可愛い♪

この日記のReaderの皆さん、また初めてご来店頂いた皆さん、こんにちは!
表参道もすっかり春の陽気で、ここ数日ほんと~~に久々に夜の表参道に沢山の人、人、ひと・・・。
100年に一度の不況と言われたその上に、1000年に一度の災害と言われる大震災が起こり、またまたその上に原発問題…見知らぬあなたでも、同じ国民で、そんな時を今一緒に生きていることだけでもご縁を感じます。そして厳しいながらも、春だけは私達の心を裏切らずにやって来ました。それぞれの方にそれぞれの思いのある春だと思います。

私はこの頃になると長年暮らしたドイツを思い出します…ドイツと言うより、ドイツのホワイトアスパラガスですね~。
ドイツの長い冬が終わると、一気に春がやって来ます。まるで黄色の絨毯を引きつめたような一面の菜の花。桜だかももだかプラムだかりんごか分からないほどの花が咲き乱れます。そして5月になればホワイトアスパラのシーズン。
今暮らしているイタリアでは、日本と同じようにグリーンアスパラが多いですが、ドイツではホワイトアスパラを食べる方が多いです。

ドイツではアスパラを買ってきて、家で食べることもありますが、私のドイツの友人達は外で食べることが多いです。
特に、田舎に有るレストランで食べるアスパラは最高!
食べ方は茹でたアスパラをバターたっぷりのソースで食べます。そしてそれにドイツ風カツレツ…シュニッツェルや焼いたソーセージ、または牛や豚のグリル焼き、スモークサーモン、スモークハムと一緒に食べます。いつもならそれらのメインディッシュに添えられるのがアスパラと言うべきですが、この時期の主役は何と言ってもホワイトアスパラガスです。

Mizkoの食べ方はレストランでもいたってシンプル…アスパラに茹でたジャガイモを添えて
バターソースで頂きます。ドイツ人の友人達には「Mizko、それだけ?」と言われますが、これが最高!!!こうしている間にも食べたくなりました。
この頃にドイツをご旅行なさる方は、ホワイトアスパラガスを是非召し上がって下さい。
缶詰のホワイトアスパラじゃありませんよ~~~!
2011年04月22日

桜も散り、表参道の両側のケヤキの新緑も日々色を濃くしています。
本来ならこの時期は心も浮きますが、余震や原発問題を除いても、震災での不明者の数もまだまだ多く、避難所での生活を強いられている方方を思えば、同じ国民として浮いた心には当然なれず…。それでもこの辺りの皆も日一日を負けずに生きようとしているわけですが、矢張り以前と全く同じ気持ちで・・・とはなかなか行きませんよね。
でも嘆いてばかりもいられないので、一日一日をしっかり生きたいものです。

それにしても避難所に行った国のリーダーの”彼”がまた言っていました…「大変ですねえ。頑張って下さい!」。
そして避難所の皆さんの非難を浴びていましたが、私も”彼”にお聞きしたい。
今避難所にいらっしゃる皆さんは「どうやって頑張ったらいいのか?」
地震、津波の自然災害に加え原発問題で何の罪もない皆さんが自分の家に帰れずに、大変な非難生活を強いられている…この状況で頑張るってどうすればいいのか分かりません。

神も仏もないと思うほどの地獄が人生には何回かありますが、今回の出来事はあまりにも酷過ぎる!こんな悲劇の後、何事もなかったように例年通り咲く桜にさえも、無情を感じました。その姿が美しいからこそ益々そんな気持ちになりました。
頑張ればどうにかなることばかりなら人生どんなに楽でしょうか?
頑張りようがない極地に追い込まれ、人は苦しむ。
そんな気持ちでいる方方に対して繰り返して掛けられる「頑張ってください。」の言葉。
解決に向けて死に物狂いで頑張らなければならないのは、そう声を掛けているあなたでしょ!!とテレビに向かって怒っているMizkoです。

もう一つ納得が行かないのは、週末の住宅地の静寂を破る選挙カー。勝手な時に来て、勝手なことを言って、その車の横を通るだけで「ご声援有難うございます!」なんて叫んでいる!
Mizko一言返す・・・「声援なんてしていませんよ!!!」

今回は癒しショットです♪一緒に癒されましょう~~~♪♪♪
2011年04月21日

日本モードに徹していたMizkoも日本滞在が半年ともなると、ラテンパッションが沸々と燃え上がり、爆発寸前の今日この頃です。
周囲からは、Mizkoは多少不調で60%位のテンションが日本では丁度良いなんて言われるもので、それ以上の自分は抑え日々を過ごして来ましたが、もう限界!!!
この日記のReaderの皆さん達は、ミラノ式ハッピーアワーをもうご存知ですよね!
ミラネーゼのMizkoの一面が出て来たら、どうにもこうにもハッピーアワーは外せません。
夕方5時を過ぎるとそわそわして来て落ち着かない。
そこで、地元のどこでハッピーアワーをしようかな?と思い、ミラノにあるお店の青山支店へ。
スプマンテにプロシュート(写真)。
このお店のプロシュートはミラノで食べる味と同じで、私はここのプロシュートが一番好き。
プロシュートにさあ~っとオリーブオイルを振り掛けて頂きます。
外を見るとミラノの風景とは全く違うけれど、気分だけはイタリア?!先ずは満足。
このお店では現在バルサミコフェアーをやっていて、Mizkoはバルサミコが大好き!
(イタリアにいる時には、私は美味しいバルサミコをショットグラスに注いで、ぐいっと飲みます。)
次回はバルサミコをかけたアイスクリームを是非食べに来たいと思います。
これこそ…ウ~~ン!イタリア~~~ン!!!でも場所は青山。


2011年04月16日

早いものでこのショップをオープンして一年が過ぎました。
この一年はスタッフ一同「学びの年」だったと思います。それぞれがネットショップの消費者だった私達が今度は運営という逆の立場になりました。
消費者時代には、よそ様のショップの写真を暗い!見難い!…と文句を言っていたのに、いざ自分達で撮影すると、これがなかなか上手く行かない!上手く撮影出来ても、いざアップしてみると、HPのバックの色としっくり来ない!しかしスタッフ全員が二足の草鞋で限られた時間しかない私達は、〇〇は出来ない、苦手なんて言い訳は許されずに、全員が上手く出来るようになるんだと言う気持ちで臨んで来ました。私自身が海外に出て留守になることが多いので、分担された仕事だけではなく、スタッフ全員が全部理解し、全て一人でも出来るようにするのが、いつしか暗黙の了解になっていました。
商品の写真も一年前よりマシになっていると思って頂けたら大変嬉しいです。

また、一庶民でしかないMizkoの『ミッチョリーナ日記』にもかかわらず、いつも沢山のアクセスをして頂き、本当に有難うございます。只今大震災の直後でもあるために、大人しくしていますが、また世界を駆け巡ります。
本来はこの春長年の夢を実現しようと思っていましたが、このような大震災が起こり、当分延期しました。
実は恋焦がれているアモーレに会いに行きたかったのです!
筋肉質でしなやか~~なボディをこの目で見たかったんです!!
そのお相手をここで告白しましょう。
・・・・・ベンガルタイガーです。
そう野生のトラです!

スタッフへ:秘密ってこの事でした。今回は延期しますが、私の事なのでまたひょっこり会いに行くでしょう。心の準備はしておくように!

写真:Mizkoはアフリカ象が大好きですが、ビッグキャットも大好き♪
彼はミラノにいて、名前は寅次郎です。ミラノにはもう一頭いるのですが、その彼の名は寅ちゃんです。いずれご紹介しますね(勝手に2頭共オスにしています!)。
でもやっぱり本物の野生のトラに会いたい!!!

Mizkoの人生に必要なスパイスは、アモーレ、情熱、冒険、好奇心…。
こんなMizkoですが、これからもショップと共によろしくお願いします。

一周年を迎え、お買い上げの皆さん、そしてReaderの皆さんに、スタッフ一同心から御礼申し上げます。







2011年04月14日
写真:ミッチョリーナのアモーレ!この日記のReaderの方なら見覚えがあるはず。
彼との密会(?)に行ってきました。 でもここのところ構って上げなかったから、すねちゃたのか冷たい冷たい!

今回の震災でミラノに帰りそびれ、随分日本に長居をしてしまいました。
留守を見てくれる人はいるものの、家も気になります。この日記でもお話しましたが、イタリア生活は、日本の物差しでは計り知れないことばかりですから。
有り難いことに空き巣には入られていないようで先ずは安心ですが、ちょっと留守をするとカルキで蛇口が固まってしまったり、お湯が出なかったり、テレビが点かなかったり、固定電話が繋がらなかったり…と不都合なことが度々起こります。
電気代、水道代、電話代の滞納ではありませ~~ん!
私の友人宅も固定電話がもう数年繋がらないまま。電話局の人に見てもらったものの、「おかしいね~~!繋がるはずなのに~~!」と言っただけで、その人帰ってしまったそうです。彼女は…「うん!イタリアだから、こんなもんでしょ!」と、いつもの『イタリアだから』で納得しています。そう1+ 1=2 とは限りません。頭はやわらか~くしていないと腹が立ちます。
スタッフも私がミラノに帰ると、生活を再度出来るようにするまでに時間が必要なことを良く知っているので、しばらくは東京の仕事の話はして来ません。
スタッフ本人も私とドイツの旅をして、数日後に戻ったミラノ宅で・・・トイレのお水が出ない!! 早速バケツリレー?! 少ししたら何事もなかったようにお水は流れました。
トイレさんの気まぐれ???
そんなことが多々あるので、私も、放っておけばその内直る…と考えることにしました。
そんな気持ちがないとイタリア生活は無理無理。
きちんとした気持ちじゃなくて、”そそ~らら~”のちょっといい加減な気持ちが大事!
1+1=2、2+2=4なんていう気持ちでは疲れる。1+1=時には3くらいの気持ちがイタリア生活をスムースにします。
電車も数分の遅れも当然。そう思って数分遅れて駅に行き、たま~に時間通りに来た電車に乗り遅れて遅刻しました……もイタリアでは十分通る言い訳。

ここのところすっかりジャパニーズモードになっているので、徐々にイタリアンモードも取り戻さなければと思う今日この頃のミッチョリーナです。



2011年04月06日
写真:大好きな枝垂れ桜も満開!今年はこの美しさが切ない…。

私は言葉を並べ、ぺらぺら語る事だけがコミュニケーションだとは思っていません。
先日Bacio e abbraccio のお話しをしましたが、これも大事なコミュニケーションのひとつですし、育った環境と海外生活から、私にとってはスキンシップはとても大事なコミュニケーションの一つです。

ある知人のお父様のお葬式に行った時でした。彼はまだまだ若いけれど、長男で喪主を務めていました。その立場から涙も見せずに悲しみに絶えている姿に、私の心は痛みました。私はお悔やみの言葉は一切言わず、人目も気にせず彼の手を取り、強く握りました。それがその時の私の全ての気持ちでした。
その後知人は、「あの時、本当に嬉しかったです。」と言っていましたが、そうしたスキンシップは時に在り来たりの言葉より、Mizkoの気持ちをストレートに伝える一番の方法だと思っています。それに、そのような場でも在り来たりな事をいう事がマナーだとも思ってはいません。大事なことは自分の気持ちを相手に伝えること。
特に心を傷めている相手、悲しんでいる相手に言葉でああだこうだと慰めるより、肩を抱いたり、背中を擦ったり、顔を撫でたり、抱きしめたりと私は無言のコミュニケーションで接することが多いです。と言うより私もそうされて来たので、私にはそうすることが自然。

実は…つい最近、私は大事な人を亡くしました。
年上の女性ですが、私達は再会の喜びはハグで表し、一緒の時間の楽しさはいつも手を取り合って表現していたように思います。
そんな彼女が病気になり、すっかりやせ細った姿になってしまった時、私にはとても掛けて上げる言葉なんて見つけ出せずに、私は隣にピッタリと寄り添い、彼女の骨と皮になってしまった右手を何度も擦っていました。時々彼女も私の手を弱弱しく握り返しました。それこそ無言のコミュニケーションでした。そしてそれが彼女に会った最後でした。
私は彼女の死を知らされてから、考えました…最後の私達の会話は何だっただろう?
それは1月の終わりの電話の時でした。話の途中で息が苦しそうになったので、「じゃあお大事に」と電話を切る時でした。私の彼女へ対する思いが口に出ました。
「私、愛していますから」…それが私が彼女に言った最後の言葉になりました。
「うん。有難う。」…呼吸が苦しい中の言葉でしたが、私にははっきり聞こえました。それが彼女が私に言った最後の言葉でした。
日本では、女性同士でそんな事を言い合うと変な誤解されるかもしれませんね。
私にとっては正直な気持ちでしたし、彼女には人生の色々なことを教えて頂きました。そんな感謝の気持ちも含めて、私の心が叫んだんだと思います。
彼女を失った悲しみは深いですが、最後に自分の気持ちを伝えられたことは良かったと思っています。いいえ伝えられなかったら後悔していた・・・。

今日本は悲しみの真っ只中。
日本人の風習のような『本音と建前』…『気持ちは胸に秘めて、本音を言わない』…『相手の言葉の裏を読む』…『一言って、十理解して欲しい』…『白黒つけずにオブラートを被せたようにグレーの事しか言わない』……。こんなコミュニケーション方法が普段の生活にあるような国だと、こんな肝心な時、政府や東電の会見を聞いても、私は真実がどこにあるのかと悩んでしまいます。
そして国のリーダーの被災地の皆さんへの「頑張りましょう!」の連呼が、心が籠ったコミュニケーションとはとても思えませんでした。





2011年04月05日

写真:丁度一年前に撮りました。
代々木公園のお花見のため、原宿駅はこんな人出でした。

昨年11月にミラノから戻り、もう5ヶ月…。
ミラノと東京を行き来し始めてから、こんなに長く日本に滞在したのは初めてです。

こう長く日本にいて、恋しくなるイタリアのものって何かな?と考えた時、特に今回のような悲劇の後は、イタリア人の元気さがとても恋しいです。
何度かこの日記でもご紹介しましたが、食べるにしても飲むにしても話をするにも彼らは本当にエネルギッシュ。
今はその彼らのエネルギーで自分を十分に満たしたいです。
そんな思いで、ただ今私はサッカー、インターミラン対ACミランのゲームをテレビで見ています。
ミラノでもどっちのファンか?とサッカー好きなイタリア人に尋ねられますが、私はあくまでもチームのファンではなく、興味があるのはプレーヤー個人。
もし今ミラノにいたら、家の近くのバーで両チームのファンに囲まれながらテレビ観戦していたでしょう。
絶対お供は…生ハムと赤ワイン。









2011年03月30日
ミッチョリーナからのお知らせとお願い:
先日お知らせしましたが、もうすぐMizko’s ”Via Marcona” はopenして一年になりますので、この一年間の売り上げの半分を東北関東大震災の義援金として日本赤十字社に寄付させて頂きます。
それに加え、今回義援金集めとしてのチャリティーセールを開催することにしました。
チャリティーセールでの売り上げ全額を義援金とさせて頂きます。
この他、私は個人的に不動産貸付の仕事をしていますので、今回被害に遭われ、東京でお仕事を見つける方に、一年間の期限付きで空室になったお部屋を無料で提供することにし、都庁に登録しました。タンザニアの学校、地雷で負傷した子供達への支援に加え、これが今私が出来る全てのことだと思います。微力でありますが、小さな力も集まれば大きな力になると信じています。このチャリティーセールにどうかご理解とご協力をお願いします。

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写真:ミラノに戻ったら一番に、夜になるとドゥオモの頂上に金色に輝くマドニーナ様にお祈りに行きたい。

本来ならばこの頃になると日本全国お花見気分、浮かれ気分になりますが、今年は春が来たかと思ったら、一気に真冬になってしまったようですね…。

私のミラノへ帰る日程も今では分からず仕舞い…。
もう少し東京が落ち着いたら帰ることにしましょう。
毎回ミラノに帰ると、ラテンメンタリティー独特の熱い出迎えをしてくれる彼らなので、こんな大災害の後帰ったら、いつもに増して沢山のbacio と aabbraccio (キッスとハグ)を貰うでしょう。

私もキッスとハグのある環境に子供の頃からいたので、外国人の友人には当然、日本人でもそういう習慣のある友人達には表参道の人込みでも、「久しぶり~~!」なんてぎゅっとハグして左右のホッペにキッス。同性でも異性でも。
そして嬉しい時にも悲しい時にもお互いに相手の胸に飛び込む…。
それがMizkoにはフツウの行為。逆にキッスもハグもない日本式の方が不自然。

でもあまりそういうことに馴染みのない方には友人とて致しません(驚かれるので)…その時は日本モードで行動します。

こんなMizkoが納得いかない映画…「幸せの黄色いハンカチ」。
刑務所から出所した夫、高倉健を、妻の倍賞千恵子が黄色いハンカチーフを竿に一杯つけて待っていて、長い年月を経ての再会だというのに、夫が一番にしたことは、持っていたバッグを妻に渡し、キッスはともかくハグもなくThe End !
その映画をドイツに住んでいた頃テレビで見た時には「なに~~これ!」と思いました。今の私なら、ずっと帰りを待っていたのにハグもキッスもなく、バッグなんて渡されたら、「私が長年待っていたのは、こんなバッグじゃない!!」とバッグを投げ捨てて怒っちゃって、泣いちゃって、暴れちゃうかもしれません?!

今回色々な国の友人達に心配をかけメールを貰い,誰もがメールの最後にキッスとハグを送ってくれましたが、イタリア人の友達からはいつものabbraccioではなく、 un grosso(大きい) abbraccioやun forte(強い) abbraccioでした。

この日記をいつも読んで下さっている皆さんにも…
Bacio e abbraccio















2011年03月28日
大震災から2週間以上が過ぎ、3月11日以前の日本が夢のようです。
ただですら世界の友人達に心配されるほどの不況であった日本…その上にこの大災害。

私はここのところ海外の友人達への対応に追われています。
ミラノの友人達からは連日「即ミラノに帰って来い」…
ドイツの友人達からも連日「即日本から退避せよ」…
中でもインド、トルコ、モルジブ、タンザニアからは、なんと「すぐに私の家にいらっしゃい」…とメールや電話をもらいました。
その他の国々の友人達も含め、今回の災害では本当に心配を掛けました。

長い間、多くの国々へ旅をし続け彼らと出会い、こんな悲惨な時には国境もなく、人種もなく、宗教もなく、人々の心が一つになり心配をして頂き、今こそ私は彼らに、「世界は一家、人類は皆兄弟」という気持ちを感じています。

写真:地震の数日前にお気に入りのレストランに行きこの写真を撮りました。
今は行くのが怖い………。




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