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マダムMizkoの海外diary
マダムMizkoの海外diary:314
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2011年03月20日

地震から10日目。
この自然災害の被害の大きさに言葉もありません。

この間私は考えて来ました。微力であれ今の自分に何が出来るのか……。

私は現在2つのボランティア活動をライフワークとして抱えています。
一つはタンザニアの学校設立、井戸掘りに加えて、生徒全員へのスクールバッグや勉強に必要な文具、そしてマラリアから人々を守るための蚊帳などの物資支援も計画中です。そして出来る事なら、彼らの経済的な独立への道を開きたいとも思っています。

第二には、アフガニスタンやアンゴラで地雷を受けて負傷した子供達が治療を受けている…ドイツ国際平和村への訪問と物質支援を最低一年に一回を目標にしています。

この2つを抱えながら、今回の災害に対し自分が出来る事には、本当に限りがあります。
長年ボランティア活動を続けて来て、ボランティアの難しさは…自分が出来ることをしっかり知り、どういう形で加わるかを明確にするべきだと思っています。
熱い気持ちだけでは出来ません。自分の気持ちが熱い時だけ、経済的に余裕がある時だけ協力して、後はほっぽりっぱなし!では、自分勝手なボランティアになってしまいます。

そこで私は、連続的ではない単発的な義援金の支払いに先ずは参加したいと思います。

Mizko’s”Via Marcona”はもうすぐオープンして一年になります。そこでスタッフ一同の同意を得て、この一年間にお買い上げ頂きました売り上げの半分を、東北関東大震災の義援金にさせて頂く事にしました。

改めてこの一年にお買い上げ頂きました皆さんに、心からお礼を申し上げます。









2011年03月15日
今朝は5時の震源地東京湾の地震の「ぐらっ」で目が覚めました。
11日の巨大地震から、ここ表参道でもどれだけ揺れを感じたことでしょう。

朝からコンビニ巡りをしましたが、カップヌードルやレトルト食品、缶詰、スナック菓子の棚はほぼ空っぽ状態。
 
それにしても人が少ない。このショップのオフィスのある”まいせん横丁”も表参道もガラガラ。表参道のエキチカ、”Cafe de Metro"もいつもよりずっと人が少ない。

銀行も……ほとんど人がいない。

長引く不況で人がぐっと少なくなりましたが、春の訪れと一緒にまた沢山の人がこの表参道に戻って来て、多くの人で賑わっていたのがつい数日前のこと。

お店も節電で照明を落とし、電車の不通で店員さんが出勤出来ないせいか、閉店しているお店が目立ち、開店しててもお客さんの姿はほとんどない。
今人々がここで求めるものは「もしも…」の時の物ばかり。そんなお店で皆さん買い占めています。
オフィスに買い置きしていたはずの乾電池も、「もしも…」のためにはだいぶ不足気味。でも乾電池はどこも売り切れ状態。
電車のダイヤが乱れて、午後から出勤のスタッフTもあちらこちらを探してくれましたが、
特に一番使う単3電池はどこにも見つけられず…。そんな時に尾道のYちゃんからお見舞い電話…「なにか必要なものはありませんか?」
遠慮している場合ではないので、即お言葉に甘えさせて頂きました。Yちゃん、お世話になります。あなたのお誕生日の11日にこんな巨大地震が起こっちゃって~~~!

その他の尾道、鞆の浦の皆の「何でも送るよ~」は、嬉しかったです。
数え切れないほどこの土地を旅して来て、よく私はこの土地に対して、「心のふるさと」という表現をして来ましたが、今こそ皆の声がふるさとからの声に聞こえます。ありがとね(尾道弁)。困ったら遠慮なくお願いします。どうか宜しくね。

写真:尾道の私の好きなお寺の一つ、天寧寺より。
もうすぐここの枝垂れ桜の季節。ここの枝垂れ桜は本当に美しい!
そして天寧寺さんの五百羅漢を一人眺めていると心が落ち着きます。
あ~~また行きたくなりました。

追伸:この日記を書いた後15日22時36分、再び表参道が揺れました。
今回は「ドシン」という感じでした。今回は静岡県富士宮市で震度6強。
いつまでこんな日が続くのでしょうか……。



2011年03月14日

地震から3日目…時間が経つと益々あの地震が残した爪痕が見えて来ますね。
私達の日本でこんな悲劇が起きるなんて・・・。
テレビの画像はまるで悪夢を見ているよう…夢であって欲しい。目が覚めて4日前の日本に戻って欲しい。
自分の住んでいた家、町、村、そして愛する人々を一遍に一瞬にして失うなんて、これを地獄と言う以外になんと呼べば良いのでしょう。
犠牲になられた方方にお掛けする言葉すら見つけられません。
どんな言葉もその苦しみには足りな過ぎる。
今は、ただただ一人でも多くの命が救われることを祈っています。

西日本の友人の方方へ:ご心配を有難うございました。
あなた達の西の元気を今東に送って下さい。

To my foreign friends :
We are all right!
Wir sind OK!Gottseidank !
Stiamo bene ! Ma adesso e impossibile tornare a Milano. Ci vediamo dopo.









2011年03月11日
(東日本巨大地震のため、日記のテーマも変更します。)

いや~~怖かったですね~~~!
ここ表参道もかなり揺れましたよ。いえいえまだまだ時々揺れています。
家の食器もお人形のケースも落ちて割れてしまいました。
床に飛び散ったガラスが怖いので、家の中でも靴を履いています。
さっきコンビニに行ったら、食料がほとんどない!!!売り切れ!

今私がこうしている間に、もう何時間も歩いて家に向かっている友人もいます。
無事に帰宅が出来ますように。

まだ連絡が取れていない友人、知人の皆さんが無事でありますように。

人生って本当に何があるか分かりませんね。
不確かな未来より、確実なその日その時を大切に生きるイタリア人の考え方に、今改めて私もそう生きたいと思います。それじゃないと後悔する!

まだまだ余震が心配ですね。

地震の影響を受けている地域の皆さん、不安は一杯ですが、お互いに頑張って生き抜きましょうね。

写真は近くのアロマオイル(?!)のお店です。割れたビンから漂う良い香りが切ない……。

2011年03月10日
写真:Prosciutto e melone(生ハムとメロン)、ミラノにて。見ているだけでたまりません。食べた~~い!

日本にいてすっかり忘れていましたァ~~~!3月8日はイタリアでは”Festa Della Donna"(フェスタデラドンナ)と呼ばれる「女性の日」だったんです。
勝手ながら急遽日記のテーマを変更させてくださ~~い!

この日イタリアでは、男性が女性にミモザのお花をプレゼントする日と言われていますが、この日イタリアにいられなかったのは残念…。今までのミラノ生活の経験から、この日にはミモザのお花だけではなく、どこへ行ってもいつもより女性が大切にされるような気がします。(気のせい?)

カフェやバールに行けば、お店の男性にお菓子をプレゼントされたり、日本にも支店がある『ペック』のカフェの男性には、チョコレートを両手一杯にプレゼントされたこともありました(バレンタインデーでもないのに)。しかし何より忘れられないのは、『グッチ』のカフェで本を読んでいた時のこと・・・。言葉もなく、ふっと一本の赤いバラが目の前に差し出されました。見上げると、そこにはイケ面というより黒のスーツに身を包んだ美し~~い男性が立っていました。私と目が合うと「マダム、どうぞ!」と静かに言いました。その仕草がキザ~~~!彼は自分のその美しさを十分に知っていて、それをフル活用している!

私は、男性が一本の真っ赤なバラの花だけを女性にプレゼントするって、とっても難しいことだと思っています。それは100本のバラの花束をプレゼントするより遥かに難しい。
他にプレゼントがあり、それに添える一本なら分かりますが、一本のバラの花だけをプレゼントする場合、下手をすると、一本しかお花をくれないケチンボに思われてしまう。
一本のバラに添えられるその男性自身の容姿と、実行する場面が調ってこそそのシーンが様になる……。
どんなに内面が素晴らしい男性でも、よれよれのスーツにただ縛ってあるだけのネクタイ。
それも焼き鳥食べながらの居酒屋さんでは無理がある。どんなにその一本のバラに心が込められていようとも…。

それをまるで映画のシーンのようにさらりとやりこなせたのは、彼の美しい容姿に加え、流石にアモーレの国イタリア、お洒落の街ミラノ、そして『グッチ』のカフェというパーフェクトなシチュエーションだったからでしょうね。超キザでしたが、お見事でした!そしてそのバラは有り難く頂きました。

ではReaderの皆さん、次回は「あまり知られていない以外なドイツ人気質~Part3」をお届けします。読んで下さいね♪
2011年03月07日
写真:ドイツ、夏のビアガーデン。東京のビアガーデンは時にはビルの屋上で、ガーデンとは名ばかり。

ドイツと言うと、「ビール」、「ポテト」、「ソーセージ」、「車」。
ドイツ人と言うと、「日本人と気質が似ている」、「堅実」、「頑固」、「ケチ」というような印象を今まで私は耳にして来ました。
そして私自身も、ドイツと係わりを持つまでは同じような印象しかありませんでした。
しかしドイツでの生活を経て、なが~~いドイツやドイツ人との付き合いから、私の印象は大分変わって来ました。

先ずはあのビール祭りでの騒ぎっぷり!
老若男女が一緒になり、飲むや、歌うや、踊るわのあの姿は、上記のイメージだけをお持ちの方には想像がつかないかもしれません。私も初めて見たときには、そのオープンさと陽気さにびっくりしました。イタリアでもあんな騒ぎっぷりは今までに見たことがありません。
一リットルのジョッキーでビールを飲み、音楽に合わせ、ベンチの隣りに座った知らない人同士が肩を組み歌い、その内ベンチの上に立ち踊りだす。
ビール祭りは夜だけではなく、朝からオープンしているので、朝からビールを飲んでいる人達も沢山います。
このビール祭りの期間は皆どことなく落ち着きがなく、飲み過ぎて会社を休んだところで暗黙の了解みたいなところもあります。
期間中誰もが会社関係、接待相手、友人、家族……と違った相手と度々ビール祭りを訪れるので、翌日の二日酔いはお互い様!という感じもあるのかもしれません。
お酒が飲めない人はつまらない???いえいえビールを飲まなくても美味しい食べ物が一杯ありますし、ビール祭り期間中だけその場所に遊園地が出来る所も多く、突如出現した遊園地では、乗り物に乗ったり、ゲームをしたり出来るので、ビール祭りは大人だけのためではなく、子供達も楽しみにしています。子供からおじいちゃん、おばあちゃんまで、皆で楽しむのがビール祭りです。そこにはオープンで明るく、賑やかなドイツ人のイメージしかありません。

では次はいよいよトップレスorフルヌードでの日光浴やヌーディストビーチのお話をしましょうね。お楽しみに(?)
2011年03月05日

写真:ミュンヘンにて…Weizenbier(ヴァィツェンビアー)とミュンヘンの名物ソーセージ、Weisswurst(ヴァイスヴルスト)

少し前になりますが、ドイツに暮らしたことのある、またはドイツ語を話す人の会…と言った会にお邪魔しました。

座ったテーブルには男性が3人。私より年齢的にかなりお兄様達で、短くてもドイツ滞在が2年で、他2人もそれ以上のドイツ滞在経験をお持ちで、お仕事は全く違う方方でした。

この会の会場になったのは、有名な有楽町にあるドイツ料理のお店。

私は最初はドイツではWeizenbier(ヴァイツェンビアー)と呼ばれるビールを。う~~~ん美味しい!
そしてその後は冷えた白ワイン、Frankenwein(フランケンワイン)を飲みました。
フランケン地方に住んでいたことがあり、今でも一年に3~4回はミラノからニュールンベルグ(同じくフランケン地方)に行く私には、丸いビンに入ったこのワインは飲み慣れたワイン。しかし他3人の方には、ドイツでも違う地方に住んでいらしゃったために、珍しいワインとのこと。お一人はここで初めてお飲みになって、「美味しいですねえ~~!」とおしゃっていました。
甘めのものは好みませんが、trocken(トロッケン=dry)のフランケンワインは私も大好き!

私達の会話は、ドイツでの苦労話に始まりました。
先ずは、お店の営業時間。
そうです!今でこそ土曜日は夜までお店は開いていますが、その昔のドイツは土曜日の
お店の営業は午後2時まで。そして未だにそうですが、日曜日にはピタリとお店は閉まります。いつでもお買い物が出来る環境の中から行くと、これには慣れるまでに一苦労。

そしてドイツ語の難しさ、ドイツの冬の寒さと長さを誰もが嘆きます。

お酒もすすみ、夜も更けて参りますと、お話しのテーマは御馴染みエッチなお話しになってくるのは何処も同じ。
一人の方が火をつけました!「ドイツで何より驚いたのは、あのミックスサウナですよ~~!」(Mizko、待ってましたそのテーマ!)
私ともうお一人も「そうそう!」と同時に同意!

そうなんです!日本の温泉で混浴があるように、ドイツでは場所や曜日によってはサウナが男女一緒です。でも仲間と飲んでいて、「さあ~~皆でサウナに行こうか~~!」のノリには、まだうら若き当時のMizkoは仰天したものでした。

私のミックスサウナ初体験の事は今でもはっきり覚えています。
私が行ったサウナの更衣室にどんどん男性が入って来て、これまたどんどんと脱ぎ出す。
明るく”Hallo(ハロー)”だの” Gruess Gott!(グリュスゴット=この地方のこんにちは)、「何処から来たの?」だの私に声を掛けながら、アッと言う間に私の目の前でスッポンボン!他の女性も自分のベースで脱いでいて、これまたスッポンポン。誰もが日本の混浴のようにタオルで隠すとかもな~~い!これは下手に恥ずかしがったり、躊躇している方が不自然!郷に入っては郷に従え!え~~~い!と私も負けずに(?!)、スッポンポ~~ン!
他の2人も私と同じように、最後は思い切りミックスサウナに飛び込まれたそうです。もうお一人は、この貴重な体験(?)をなさらなかったようです。

一人の男性は、「ドアを開けたら、スッポンポンの女性達がいて、間違えて女性用のサウナのドアを開けちゃったかと思って、直ぐドアを閉めちゃいましたよ。その後ですよ…ミックスだと分かったのは。」と。

ミックスサウナに加え、もうお一人の男性の住んでいた町の市営プールは毎週水曜日がスッポンポンの日だったとのこと。老若男女が皆水着なく泳ぐ日だったそうです。
そしてご自分もそうして、身に何も纏わずお水に入ることをエンジョイしていらっしゃったようです。

私は今まで周囲の人達にこうしたドイツの一面をお話しすると、ほぼ全員が「イタリアなら分かるけれど、あの堅いイメージのドイツ人がね~~」と驚きました。

フランクフルト国際空港の高級ブランド店が並ぶ場所にセックスショップの老舗があったり、FKK(Freikoerperkultur)と呼ばれる老若男女のネーディストビーチ・・・・まだまだあまり知られていないドイツ人気質の一面をMizkoの経験を基に次回もまたご紹介(暴露?)したいと思います。
『ミッチョリーナは見た!!!』・・・・・お楽しみに~♪

因みにミックスサウナはドイツ語ではgemischt Sauna(ゲミッシュト サウナ)と言います。
ドイツのサウナに行かれて、ミックスがおイヤな方、或いはミックスが宜しい方は、事前にこの単語でご確認されることをおススメ致します。

**************************************
お誕生日を迎えられた方方、お誕生日おめでとうございます。
4日:Oさん、これからも我儘なイメージで注文するMizkoですが、ラテンの大人の女性らしい髪に仕上げてください!ラテンの方向性は南米より、フランス、イタリアで!
5日:Kさん、飲んで、踊って、語り合い、これからも楽しい時間を沢山ご一緒させてください。
お二人のご健康とご活躍を心から祈っています。

2011年03月02日
写真:お雛祭りですねえ~~!

私は・・・好奇心も大きく何事にも興味津々、冒険心も時には女性としては半端じゃないことも。決断も行動も素早く、一度決断したら「もうどうにもとまらない」状態で迷うことなく行動に移す。そして行動した後に周囲にびっくりされたり、呆れられたり…。
誰でも大人にならばなるほど、そしてまた自分の生活が確立してくると、周囲に自分の行動を咎められることも少なくなるし、まして親もいなくなれば、強く意見をされたり、叱られたりする事もぐっと減る。
私の場合も日本では、日本語で叱ってくれる人があまりいなくなったなあ~と自由である気ままさと同時に寂しさも感じる今日この頃。
そんな中・・・いますいます!こんなじゃじゃ馬Mizkoの”じゃじゃ馬馴らし”さんが・・・この日本にも!

冷たい雨の中、もう暗くもなって来たし、寒いからセルフ酒でも…と考えていました。
丁度その時にメールのやりとりをしていたお相手の方に、「もう仕事を”サボって”(私のいる場所に)いらっしゃいませんか?」ととんでもないお誘いメールを出しました。
お忙しい方なので、まあ期待は半分・・・。ともかく寒いので、先ずは先日日記でもご紹介したタロットダイニングバーへ。

今回の私の引いたカードは「皇帝」。占い師の方のお話では、とても強いパワーがあるので、思った通りに自信を持っておやりなさい…とのこと。
そして今回もカードと同じカクテルを頂きました(ごめんなさい。カクテルの写真を撮り忘れて飲んでしまいました)。ウイスキーベースのちょっと強めのカクテルでした。
続いて鑑定をお願いすることにしました。今の自分の環境と、そうだメールを送ったお相手の方との相性を占ってもらおう!
詳細はここではひ・み・つですが、相性がとても良いとのことでした♪丁度その時電話が鳴りました。気付かない内にメールも入っていました。そうです!先ほどのメールのお相手の方が、早目に仕事を切り上げて下さり(サボってという訳ではないようですが)もう近くまで来ているとのこと!(ひゃ~~ラッキー♪もう運気がアップ?)

この方なんです。日本広しと言えどもなかなお目にかかれないじゃじゃ馬Mizkoの”じゃじゃ馬馴らし”さんは!

私のハチャメチャな言動には・・・「ダメ!そんなこと言っちゃ!」、「な~に言ってんの!あ~~ったく、もう~~!」「全然だめ!」「あ~~~、そう来る??あ~~これだからねえ~。ったく!」…そんな言葉が連発される。「まったく!」の「ま」が、私に呆れ過ぎているのか、毎回聞こえない。時には頭に右手をやって、その頭を左右に振りながら「あ~~~!」とわからんちんのMizkoに嘆いている?!呆れている?!
それに対し私が「だってさあ~~〇〇だと思ったんだもん。」なんて言おうものなら、「だってじゃない!」と間髪容れずに檄が飛ぶ。
否定するだけではなく、「あのねえ~~〇〇だから××なんですよ~~!分かります~?」という教えも有る。
職業上色々な人達を見ている方なので、お話に説得力があります。
その上、雨の日、朝から着ていたとは思えないほどワイシャツの胸元はのりが効いていて、シワ一つなく(クリーニングから戻って来たシャツを袋から出さずに暫くそのままにしていた時には、自分でまたアイロンを掛け直すほどの拘りよう!)そこにポケットチーフが憎いほど形良く飾られていて、靴もきれいなスキのない姿でのじゃじゃ馬馴らしには、流石のじゃじゃ馬Mizkoも「うん。解った。は~い!」と子供のようになってしまいます。
その時の私の履いていた磨かれていないブーツを見て、”じゃじゃ馬馴らし”さんは・・・・・「ありゃ~~全然だめ!」。

”じゃじゃ馬馴らし”さんは、会わない間に軌道を間違えちゃったじゃじゃ馬Mizkoの軌道修正を会った際にして下さる私にとってとても貴重な存在です。

幾つになっても人は人に叱られたり、意見を言われるって本当に大切なことですよね。
そういう人がいるってとっても幸せなこと!

Mizkoの”じゃじゃ馬馴らし”さんへ:そんなあなたの存在に感謝しています。私が軌道を誤ったら、また修正を厳しく(いえいえ、あなたが厳しいと怖いからほどほどに)ジャンジャンお願いします!
2011年02月28日

表参道で有名なフランス、ブルゴーニュのガレット&クレープのお店”CAFE-CREPERIE LE BRETAGNE"では,時々ガレットでりんごのお酒、冷えたシードルを頂きます。お店のスタッフとも顔見知りで、シードルもなみなみと注いでもらい、Mizkoの締めも彼らは良く知っている・・・カルバドス!時にカルバドスをスキップしてオーダーしないと、彼らは私に尋ねる…「Mizkoさん、今日カルバドスは?」

甘い物はあまり得意ではないけれど、スタッフや友達と行くとクレープもシェアーして頂きます。お腹が空いている時には、注文してからの待ち時間が短くて、サッと焼き上がるガレットは有り難い!そしてこのお店に最近バーコーナーが出来ました。このバーが私が今注目している一軒目のお店。レストランの方も、もともと木のぬくもりを感じるお店ですが、ウッディなバーコーナーもヨーロッパにいるような気分にさせてくれます。
先日は早速このバーでカルバドス。

そして今Mizkoの一番星は、「表参道コーヒー」。
古い民家の一階にあり、スタンドのカフェ。門を抜け、小さなお庭の縁側から靴のまま上がります。そこでイタリアで修業した男性がコーヒーを入れる・・・とっても美味しい。
私はコーヒーが大好きで、必ずブラックで飲みます。ミルクやお砂糖を入れる時はコーヒーが美味しくない時か、胃が疲れている時。ここのコーヒーは文句なしにブラックで。
エスプレッソはイタリアを思い出すほど美味しいし、先日暖かかった日には、カフェシャケラートを頂きました。これはイタリアの夏には欠かせません。カクテルシェーカーに氷とエスプレッソを入れてシェイクしたもので、お店によってはリキュールが入っていることもありますが、ここはアルコール抜きで。
カフェシャケラートはあまりこの辺でも飲めないので、嬉しい限り。この日はお天気が良かったので、お庭の縁台に座りました。そうしているとここが表参道だという事も忘れて、どこか田舎に来たようなのんびりとした気持ちになりました。
このお店の不思議なところは、お客さん同士がいつの間にか話している・・・。ある時も私が入って行くと、縁台に座っていた知らない男性が笑顔で「こんにちは」と言うので、お店のKさんに「お店の方?」と尋ねると、「いいえ、お客さんですよ」…とのこと。
そう、知らない人間同士がいつしか話始めるような、そんなやすらぎがここにはあるように思います。家から徒歩1分の距離に出現した癒しの空間。
魅力はコーヒーとその空間だけではなく、写真の焼き菓子です(5個入りでしたが、撮影前に1個思わず食べちゃいました!)。中はカスタードで、「コーヒーをよりおいしく楽しむためのお菓子、コーヒー菓子」とお店の言う通りコーヒーにぴったり!因みに、このお菓子をプレゼントした方方にはとても喜ばれました。
上記したように、私はそれほど甘い物は好きではありませんが、これはお・い・し・い!
ただ、焼ける数に限りがあるので、すぐ売り切れちゃう!

とにかく家から近いため、このお店には何かと寄ってしまうので、Mizko、お店のKさんに…「ストーカーじゃありませんよ~~!ご心配なく!ただここのコーヒーとこのお菓子とこの雰囲気がたまりませ~ん!」

ガレットのお店のフレンチバーに表参道コーヒー・・・やっぱり私は表参道がお洒落で大好き!


追伸:この週末は体調不良だったようだし、ここの所ちょっと元気のないあなたへ:表参道からMizkoの元気を送ります!「元気にな~~~れ!」。あなたにもコーヒー菓子を食べて頂きたいな~。あなたの「美味しい!」が聞きたくて・・・。次回にきっと♪
2011年02月26日
占いは兎も角として、お食事も本当に美味しく頂いたタロットダイニングバー。
写真:バーニャカウダも見た目もキレイ!

客層は、占いにどっぷり浸かったような人達が多いのかと思っていたのですが、いやいや普通のお店と変わりません。スーツ姿の男性客も多い。
このお店に来たからって言って、必しも占ってもらう必要はありません。
私達は余興のつもりで占ってもらいました。

私達のテーブルのお隣りに女性が3人座っていました。
一人が私の横。もう二人はテーブルの向こう。
テーブルの向こう側の30代後半から40代初め(?)の女性〈Aとしましょう〉が言いました。
「そろそろ結婚しなくちゃ~~!」」
私の横隣の女性〈Bとしましょう〉がAにこう尋ねました。
以下はAとBの会話を思い出しながらご紹介します。
B「どうして?」
A「今は良いけれど、もっと年取って一人だったら寂しいんじゃないかな~と思って。」
B「そんなことは一人になった時に考えればいいんじゃないの?」
A「え~でも…」
B「あんたねえ~、結婚がしたいの?それとも恋がしたいの?」
A「好きになった人と結婚出来たらいいな~と思ってるんだけど。」
B「あのね~~、結婚と恋愛は全く違った業種だよ!業種が違うと思うくらいに全く違った事だよ!ねえ~~!どっちがしたいのよ??先ずそれをはっきりさせなくちゃだめよ!」(Mizko…へえ!!業種の違いねえ~~。なんか納得!)
A「・・・・・・」
B「あんたねえ~、付き合っている人いるの?」
A「え~~まあ!_」
B「どんな人?兎に角ねえ~、結婚したければ結婚カテゴリーの男から男を選ばなくちゃだめだよ~~!」(Mizko…結婚カテゴリーの男とは良く言ったものだあ~~!)
A「え~~?結婚カテゴリーの男?私は今付き合っている人と結婚出来たらって思っているんだけれど。」
B「何言ってんだよ~!結婚カテゴリーの男っているんだから、それを見極め、そこから選ばなきゃ上手くなんか行かないんだよ!」

その時友人は、別な所で占ってもらっている最中で私は一人。
盗み聞きする気はなくても、女性Bの自信満々の語りぶりがイヤでも聞こえてくる。
3人目の女性はBの言う事に頷きながら、自分は意見も言わず、口は食べるので忙しそ
う。

私の耳はダンボになり、そのBさんの説得力のある話にいつの間にか参加していて、気付けば体ごとBさんの方に向いて私は座っていました。
髪の一部が真っ白で、これだけの説得力のある話と態度に、私は60代?女性と思っていたら・・・
B「私も44だからねえ~~。その辺の事はよ~く解ってるわよ~~!」と聞こえました。
年よりも髪の白さと説得力のある話は、色々と経験のある方なのでしょう。

占い師さんのお話もとても興味深いものでしたが、このBさんの「結婚と恋愛は全く違った業種」、「結婚したいなら、結婚カテゴリーの男から選べ」は勉強になりました。

いやいやこの夜は刺激のあるお話を沢山聞かせて頂き、充実した夜でした。

それに、こんなにお料理もカクテルも大満足したお店も久しぶり。

またこのお店に行こうっと!


2011年02月26日
先日友人と初めてタロットダイニングバーに行きました。
初めは何か怪しげ?と不安でしたが、入ったらとてもステキなお店。
テーブルにはタロットカードが並んでいて、お店の人が「一枚お引き下さい。」と言い、私が引いたカードは『正義』。その日の占い師の女性によると、「自分の思う通りにすることが、今のあなたにとって一番正しいこと。取るも捨てるも自分の直感で選びなさい。」とのこと。最初のドリンクはカードどおりの『正義』というカクテルにしました(写真)。爽やかで美味しい!因みに友人が引いたカードは『悪魔』、そのカクテルは赤くて、生姜がかなり効いたカクテルでした。
こういうお店のお食事は???と思っていましたが、何を注文しても、見た目も美しく、美味しい!運気がグット上がりそう?!

占いなんて、雑誌で見た時にいい所だけを信じる私ですが、友人とのお食事に余興が加われば尚更楽しい・・・そんな気持ちから占いをやってもらいました。

その結果…あなたとは・・・お互いを必要とする縁で、お互いの気付かない部分を補い合うことが出来て、なが~~いお付き合いになるとのこと。(え~~~ホント?本当なら嬉しい!)
そして、今どんどんとMizkoに迫り来る男性の影があるとのこと。
(え~~~~!だれそれ~~?)
でも振り返ってもそんな気配は未だない…。(ちょっと楽しみ♪)
それが本当になったら、この占い師さんを信じることにしようっと!
2011年02月24日
写真:この写真の撮影後にそんなサプライズがあるとは!


日本に戻り早3ヶ月。本来はもうミラノにとっくに戻っているはずでしたが、諸事情あり、日本で足止めを食らっています。でもまあ心に翼を持ったMizkoのことですから、周囲が整備(?!)されれば、また飛んで行きます!Readerの皆さんは何処へでも同行して下さいよ~~♪

さてそんな中ミラノの方が私のところへやって来ました。
と言うのも、ミラノのKがイタリア生活を終えて、日本に帰って来ました。
帰国することは知っていましたが、こんなに早く私に連絡もせずに会いに来てくれるとは!

仕事で出先にいた私の携帯に知らない番号の着信履歴。(だれ~~~?)
留守電もない。いつもならそんな電話は掛け直さないのに、何故か虫の知らせ?
そお~っと電話をしてみると…「え~~~~っ!K???今何処?え~~~~っ!表参道の私の家~~~?」
それがKにとって、初めての私の家への訪問。
もうビックリ!そしてそれから私の出先にKは来てくれて再会。
Kは私を見つけると、飛びっきりの笑顔を見せて駆け寄り、私も抱きついちゃいました。これぞイタリア式の再会!
しら~~と「お久しぶり~ィ!」なんて言う再会はイタリアでは有り得ません。たとえそれが数週間後の再会でも。
また、こんなサプライズを企てて驚かせようとするのも、なかなかイタリアン?!

私はイタリアから戻ったばかりのKを見ながら、私にとって何がこの日本に欠けているのかが分かりました。それは『人が放つエネルギー』です。
そうです・・・ものすごく内から溢れ出てくるエネルギーをKに感じました。
日本でつくづく周囲を見てみると、パワー充電が必要そうな人の方が多く感じます。そしてKは輝いていました!そういう人を見ると自分も充電されます。

そしてその次の日は、日記の「熱くなった夜!」の舞台になった表参道のバーで、またまた「熱くなった夜!」でした。今度は意味が違いますが。
アニエスベー青山店の店長梅ちゃんと、春物の素敵なドレスも決まって(今回は背中が開いた黒のドレス!う~~ん、何処で着ようかな?)楽しく食事をした帰り、すごい強風で寒かったので、ちょっとセルフ酒に寄りました。一人の日本人女性がお店に入って来て、私の隣りに座りました。女性セルフ酒同士で話を始めたら…「え~~!!」それからは急に私はイタリア語を話していました。そして彼女も。
彼女、以前ミラノに住んでいた人だったんです。一緒に飲み始めた時間も遅かったですが、もうそれからはお互いにフルパワーで語り合い、気付けば夜は明けていました。そしてお店から出た私達、手を繋いでいました。

日本では70%位パワーを出しても、周囲に「Mizkoはかなり元気!」と言われ、イタリアでは100%出してもまだ足りない!

でも今回は思いがけないミラノからの元気で、私もまた充電出来ました!


その彼女へ:ステキな時間に感謝!
Kへ:本当にとっても嬉しいサプライズでした!Grazie mille ! Non vedo l'ora di rivederti a Tokyo.
アニエスベー梅ちゃんへ:あの夜、一杯で帰るつもりが帰れませんでした!!
次回は「例のお店」にデビューしたいです!連れて行ってね~~!







2011年02月20日
写真:開校して2年後にやっとお水が供給出来ました。

さて、マサイのJについて出会いから4回に渡りお話して来ましたが、いよいよ最終回です。
彼についてはまだ山ほど話題がありますが、また次の機会にお話したいと思います。


2500人ほどの心が一つとなり、一緒に笑い、喜びに浸り、無事に学校のオープニングセレモニーは終わりました。

子供達や村の人々と別れ、その夜はホテルに戻ってから、プロジェクトの成功を祝っての祝賀会。とても美味しいお酒でした。

私「それにしても、日に焼けすぎちゃって、真っ黒になっちゃったわ。」
J「でも、それは顔に色を塗ってるんでしょ?(ファンデーションの事)」
私「ううん、何にも塗ってないわよ~~。」
J「ええ~~~~~!Mizko…まるでタンザニアの人みたいだね~~~!」と50センチくらい上半身を後に引きながら私に言いました。
私「そこまでは黒くないわよ~~!でも日本では美白が流行っているから大変だわ~~!」(注意:確かにかなり日焼けをしましたが、写真の女性のように黒くはありませんでしたよ!)

その後でした・・・Jは私の真っ黒な顔を見ながら言いました。
「Mizkoがマサイだったら、僕は沢山のヤギと羊をあげるのに。」・・・マサイは花嫁にヤギや羊をプレゼントするようです。

今でもJは、たまに大きな町に行った時にメールを送ってきます。マサイの集落やサバンナではPCなんて関係なく生活していますからね。

恋愛感情に限らず、心から人を思うということは、距離とか時間とかそれぞれのおかれた環境を越えると私は信じています。いいえ、その位大きな気持ち、強い気持ちが大切だと思っていますし、そうでなければ地球の裏側にいる『友達』と呼べる人達とは、こんなに長い間心を繋げては来れませんでした。強い気持ちがなければ、距離や時間やその場の環境に気持ちが負けて折角の出会いも風化してしまう・・・。
この大都会東京と遠いアフリカのサバンナという全く違う環境の中で離れていても、Jはこの地球上に存在する私の信頼出来る大切な友達の一人です。
彼もそう思ってくれているようで、サバンナのマサイの集落に遊びにおいで、皆で歓迎すると言ってくれています。牛の糞で出来たお家ですが…(!)。

タンザニアに行く前に来たメールの「いつでもどんな時にも全力で守ります。だから安心して来て下さい。」は言葉通りでした。
それにしても第一印象のあの意地悪は何だったんでしょう?!やっぱり男心は解りませぬ!
そして私がJに浴びせた罵声…「マサイの戦士はもっと逞しくて、勇敢な男だっと思っていたのに!」は、あれから直ぐに全撤回となりました。


あの時Jに言えなかった一言を今…私がもしマサイだったら・・・絶対お嫁さんにしてくだ~~い!

2011年02月18日
学校のある集落では電気も水もなく、寝泊り出来る施設はないため、何度も私達はガタガタ道を片道3~4時間で往復して、特に帰りは日没までにはホテルのある町へ帰らなければなりませんでした。その道中Jはいつも私を気遣ってくれました。

そしてホコリまみれでホテルに戻りシャワーを浴びる度に、多少濁っていようが、量にも制限があろうと、身近にお水があることの有り難さが身に沁みました。そして今戻って来た私の学校の子供達や家族を思いました・・・この当時は小さな子供達が片道5キロのところへ水汲みに行っていました。彼らに必要なのは教育とお水である!どうにか学校の近くに井戸を掘り当てたい!いや必ず掘り当てて、新鮮なお水がいつでも近くで汲めるようにしなければならないと思いました。でなければ、小さな子供が往復10キロの道のりで水汲みに行っていたら、学校に来る時間がなくなります。
《私のこの目標は、この2年後に実現しました。今回の写真はその時のものです。》


夜はメンバーとホテルのレストランでのくつろぎの時間。
Jはいつも赤ワインを一杯だけをそれは美味しそうに飲みました。それに私も付き合いました。その時のマサイ族の習慣や野生動物の話、そしてJ自身のサバンナ生活の経験の話は本当に面白かったです。マサイと一緒に赤ワインを飲みながらお話…なかなか経験できない?!

ある夜でした。
J「Mizko、どうしていつもリュックサックと一緒なの?部屋において来ないの?」と私に尋ねました。実はその中には数年前亡くなった母のお位牌を入れていました。それも海外あちらこちらに行く私のために、ご住職さんが小さめに作って下さいました。この学校を建てるプロジェクトも亡き母への思いからですし、学校名も母の名前です。そのため何処へ行くにも母のお位牌とは一緒でした。その話をJにして、私は初めて母のお位牌を他人の手に渡しました。空港の手荷物検査の時でさえ「何だこれは?」と言われる度に、「私が見せるから触らないで!」と他人に触れられることを強く拒んで来ましたが、Jだったら…と言う気持ちで渡しました。Jは両手で大事そうに受け取り、「これはMizkoのママの魂なんだね。」と言って、暫く眺めて私に返しました。

そして遂に開校式を迎えました。
子供達220人と村人2000人、それに政府のお役人さんやら教育委員会だの何だのと大勢が集まりました。アフリカンビートで皆歌うは踊るわ。私も皆の輪に入り踊ったり、スピーチをしたり、いろいろな方方へのご紹介を受けたり写真撮影と忙しい。そんな中でリュックサックを持っていながらの行動はちょっと厳しい。そんな時Jが私に言いました。
「ママは僕が見ているよ。」
私「えっ???」
J「うん、僕が見ているから心配しないで!」
私は彼にリュックサックを渡しました。(ママ、マサイにびっくりしないかな~~?)
しかしJは、一度もリュックサックを足元に置いたり、その辺にほったらかしにすることはなく、私がしていたように大事に母のお位牌が入ったリュックをいつも抱いていました。
人の心というものは、国籍とか部族とかに関係するものではなく、その人次第だな~~とつくづく思い、Jの人柄には本当に感動しました。
両手が自由になったお陰で、私は開校式のセレモニーをローカルの人々と十分満喫しました。

全員ではありませんが、マサイ族も沢山いました。正にテレビで見るような赤い布を纏った背のたか~~いマサイ族の男性達に紫の布を纏ったマサイ族の女性達・・・これは彼らの正装だそうです。Jが彼らに一言言ってくれるので、彼らも私が近づくことも写真を撮ることも受け入れてくれました。マサイ族は「魂を取られる」と考えて、写真を撮られることを拒みます。18歳で行ったタンザニアでは、それを忘れカメラを向けて、マサイにヤリを持って追いかけられました。

マサイの人達の視力の良さは有名ですが、Jにしても遠くの私から見ると豆粒みたいな物を指差して「あそこにゾウがいるよ」と言いました。
私はこの時かなり高度な双眼鏡を持っていましたが、それで見ても、どうしてもゾウにもカバにも見えない!!Jは「あそこにいるじゃない!Mizko、見えないの?おかしいな~~?」と言いました。面白いことは、私の双眼鏡を渡したら、それを覗いてJはビックリしていました。彼にはどれだけはっきり見えたのでしょう? しかしマサイ全員の視力が良いのではないことも知りました。と言うのも・・・Mizkoは見た!マサイの男性が近視でメガネをかけていました!

マサイの男性達がお得意のジャンプをし始めました。いやいやかなり高く飛ぶ!高く飛べるほど女性にもてるのです。マサイの女性達から歓声が上がりました。多分「〇〇さん、すてきィ~~~!」なんて叫んでいるのでしょう。
彼らに比べJはだめ。高く飛べない。町に住む時間が長すぎて、町の食事を食べ過ぎたようです。でも彼には私達を驚かす才能がありました。それは記憶力です。小さな事も複雑なものも、どんどんどんどん彼の頭にはメモリーされて行くようでした。

さあ~~いよいよ次回はJのお話の最終回です。
彼に言われた忘れられない一言・・・それに対して言えなかった私からの一言。
お楽しみに♪






2011年02月15日
写真:校舎は2棟で4教室。先生達の宿舎が2棟あり、4家族が暮らせるようになっています。

私の学校の開校式までの僅かな時間に私達はやることが沢山ありました。
ドイツで注文し、チェコで造られた学校の看板がドイツから送られて来るのを引き取り、学校まで運ばなければなりませんでした。
空港で受け取る際にもとんでもないほど沢山の書類を揃えたり、あちらのメンタリティーでなんだかんだと待たされました。
男性達が車外に出て行動するときにも、Jは私に車内に残るように言いました。それだけ昼間でさえも、女性がフラフラ歩けるところではないとのことです。車内と言えども、全ての窓は閉め、ドアはロックし、それでも見えるところには金目のものやカメラを置かないようにとJは言いました。
J自身も他のスタッフの手伝いで私から離れなければなりませんでしたが、数分おきに車に戻り、周囲から私を守ってくれていました。
治安の悪い地区でどうしても私が外に出なければならない時には、ぴったり私に寄り添い歩きました。ヨーロッパの男性のようにそんな時すぐに女性の手を取るようなメンタリティーではないですが、私を守ってくれていることは十分に伝わりました。

学校に向かうデコボコ道。四駆の屋根に縄で固定された100キロ近い重さの看板が、車の振動でずっこけて今にも落ちそうになる…その度に男性達は車を降りて、看板を縄で固定しなおす。少し走っては止まりの連続で、ただでさえ滞在しているホテルから3~4時間もかかる学校までが益々遠く感じます。その間「村」と呼べる集落もほぼなくて、こんなサバンナの中に人々が住んでいることすらも最初は信じられませんでした。
男性スタッフ達は必要があれが、そこらでトイレ休憩をしていましたが、そんなサバンナの中では女性は???
するとJがいつも私を気遣って、私からトイレ休憩を要求しなくても、適度な間隔をおいて車を止め、「Mizko、あの木の後なら大丈夫だよ!」「あの蟻塚の後!」とだけ言いました。何と言う気遣いでしょう?!こういう言い方されると恥ずかしくありません!
「J…でもここライオン出てこない?」と私が不安に思うようなことも度々ありました。それまでに何度もアフリカを旅していて、ライオンの恐ろしさは身に沁みていますから、Mizkoは野生のライオンがとっても怖い!!!Jは、「僕がいるから大丈夫!」と言うので、私も(マサイがそう言うんだから、信用するかあ~~)と恐る恐る車を降りて、指示された場所で用事を済ませ車に戻ろうとすると…Jが私に背を向けて、私が恥ずかしいと感じないくらいの距離で辺りを見張っているじゃないですかあ~~!この人、本当にいつでも私を守ってくれるんだあ~と私は確信しました。
私は「J。有難う!もう大丈夫!」と彼の背中に声を掛けると、Jは初めて私の方を振り向き、私を車に乗せました。
2011年02月15日
写真:私の小学校の子供達も皆英語を学んでいます。皆、勉強が大好き!

Jは大学を卒業していて、当然のように流暢な英語を話していました。
約10日、私はJとほとんど一日中行動を共にしましたが、その間彼は毎日きちっと洗濯されアイロンの掛かったシャツを身に付けていて、見ている私も好感が持てました。彼のプライドのためにもお話しますが、よく誤解されるような体臭が気になるような事は一度もありませんでしたよ。

初めてJと食事のテーブルに着いた時でした。私は他のスタッフが理解しなくても私流に日本語で「いただきま~~す!」と食事に口をつけようとした時でした。
J:「Mizko、お祈りは?」
私:(マサイがお祈り???)
Jの父親が牧師さんで、彼もキリスト教とのことでした。もう一人の黒人のスタッフもお祈りしています。その横でもぐもぐと食べ始めるわけにもいかず、それからの彼らとの食事ではお祈りが習慣となりました。

アフリカサバンナでの生活は時計はあまり関係ありません。大事なのは、日の出と日の入りの時間です。
まして電気のないような所では、暗くなったら寝るしかありません。寝る時間も早いかわりに起きる時間も早い。
日の出とともに出発です。毎朝Jは私に「今日は暑くなる」、「風が強くなるだろう」などと空を見ながら天気予報をしてくれました。
私:「これだけじゃ寒いかな?」と言うと、Jは「寒かったら、僕のマサイの赤い布を羽織ればいいさ」と言いました。最初の意地悪な印象と全然違う!





2011年02月15日
マサイ族の友人Jのお話をする前にまたお話したいことが出来ました。

Readerの皆さん、バレンタインデーは如何お過ごしでしたか?

イタリア、ドイツでは日本のように女性から男性にチョコをプレゼントする習慣はありません。イタリアではこの後続く「女性の日」と共に男性からプレゼントを頂きますが。

さて今夜の私は眠れぬほど興奮しています!と言うのは長年夢に見ていたあなたにもうすぐ会いに行くからです。あなたの姿を見たら、泣いてしまうかもしれない・・・それとも呆然と立ち尽くしてしまうかもしれない・・・その位に恋焦がれていました。


Readerの皆さんには今すぐお話したくてたまりませんが、もうしばらくお待ち下さいね~!


夢は見るだけではつまらない!たった一度の人生!2011年春・・・Mizkoはまた一つ夢を実現します。
2011年02月11日
本来は、マサイ族のJのお話をする予定だったのですが、勝手ながら急遽変更させて頂きます。
というのは、昨夜面白いことがあったので。

この日記の数ある中で、「熱くなった夜!」(12月2日付け日記)はReaderの皆さんに特に好評でしたが、あの夜と同じバーに昨夜行きました。お店のスタッフのAさんとはあの夜以来に会って、お互い「お久しぶり~~~」という挨拶を交わした直後でした。
Aさんが私に尋ねました…「前回、これ落としませんでしたか?」
私、「え~~~な~~に?」
それは何と私の携帯の裏側の電池パックを入れる所のカバーでした!
そうなんですよ~~!あの「熱くなった夜」の翌日に携帯を見たら、裏側のカバーが無い!!!何でこんな物を失くしたのか?どこで失くしたのか?とても不可解でした。
放っておくのも…と思い、ソフトバンクに即行き、注文して1週間後にゲットしました。あの「熱くなった夜」にこのお店で落としていたとは!びっくり!!!

やっぱりMizko…あの夜はかなり熱くなっていたのでしょう!

そしてあの夜の証人でもあるAさん・・・よく取って置いてくれました。有難うございます!
次回熱くなって、また失くした際のために(?)、スペアーとして取って置きます。



2011年02月06日
写真:小学生とは思えない大きな男子生徒がいますねえ~~!
開校当時より生徒が増えて、木のベンチに3人がやっと座っている!
こうなるとまた頑張って働いて、木のベンチの差し入れ(?)もしたいものです。

この小学校は、私の4年掛かりのプロジェクトで設立、2006年夏に開校式を迎えました。
このプロジェクトを始める切っ掛けは徐々にお話するということにして、今回は私のマサイの友人Jをご紹介したいと思います。

彼との出会いはこの学校の開校式直前でした。
このプロジェクトの1スタッフで、空港にも迎えに来ていました。
マサイ族と言っても、普段はその年頃の一般男性と変わらないファッションをしているので、初めて彼に会った時にも、マサイ族とは分かりませんでした。
他のスタッフと一緒に笑顔一杯で迎えてくれたものの、到着後休む暇なく行った打ち合わせでは、Jは私をあまり見ない。机の下の私の足がちょっと彼の足にぶつかったら、思いっきり蹴り返してくる。ふっと私は思いました……(私が女だから???)
話している内にJがマサイ族であることを知り、マサイ族の男性は誇り高き戦士であることを思い出しました。
とにかく皆の前ではニコニコしていても、紅一点の私には冷たい・・・というのがJへの第一印象でした。

Dar es Salaam(ダルエスサラーム)から車でMorogoro(モロゴロ)という町まで長い道を車で走り、やっとホテル入り。荷物を車から降ろす際に男性達は皆大きな重い荷物を運び出す。私にはとても無理なので、軽めの荷物を運ぼうとすると、Jがさっさと軽い荷物を取ってしまう。そんな事を幾度も繰り返され、私は毎回とんでもない重い荷物を運ぶはめになる。
私が重い荷物を引きずりながら運んでいるのを横目で見ながら、Jは紙袋一つを運んでいました。如何にも私に意地悪しているようでした。私が「いい加減にして!」と思ったのはこの時でした。
ここでの共通語も英語なので、英語で私は彼に言いました。
「ちょっとあなた!何がマサイの戦士よ!テレビで何度も見たけれど、もっと逞しくて、頼り甲斐がある男かと思ったら、女の私が、こんな重たいもの引きずっているのを見ながら助けてもくれようとしないで、自分は紙袋なんて持って!!!時にライオンと闘ったりして勇敢だと思ったら、女にこんなに意地悪で!!!」と思いっきり私は、Jに罵声を浴びせました。

そうはJに言ったものの、今度はJが、私のその態度に怒って何を言ってくるかと思っていたら・・・そうしたらどうでしょう!!!!!Jは初めて私の顔を真っ直ぐ見て、飛び切りの笑顔を見せてくれました。それと同時にJは私の重い荷物を軽々持ち上げて運んでくれました。それから一度も私に重い荷物は持たせませんでした。

真っ黒な顔に真っ白な歯が印象的でした。
まるで私を怒らせたかったみたいでしたし、私が怒るのを待っていたかのようでした。

この一件から、どんな時にも彼は私を助けてくれるようになりました。
マサイ族とはけんかして仲良くなる???
益々男心は女の私には計り知れませぬ。


マサイ族Jの活躍ぶりは次回へ。

2011年02月01日
写真:私のプロジェクトで建てた小学校の校舎の一つと生徒達です。

皆元気で勉強しているようで、嬉しい限りです。

この小学校は、私が滞在したホテルから3時間半も道なき道を四駆で上下左右に揺られながらやっと着くような場所にあります。泊まる所も電気もないため、仕事が済むとまた同じ道を日没前に走る。それも私以外は全員男性スタッフです。
女性として彼らに足並み揃えて行動するのは並大抵なことではありません。マサイ族さえも一緒ですから!

男性だけの職域にもどんどん女性が進出している時代で、おばあさんは山に芝刈り、おじいさんは川で洗濯・・・というのもあるような現代社会ですが、、文明社会を離れ、こうしたサバンナの自然の中では、どうしたって女性が男性に適わぬ部分を実感します。おじいさんは山に芝刈り、おばあさんは川で洗濯・・・これが本来の男女の姿だとしみじみ感じさせられます。道を阻む大きな木を切る、薪割り・・・は素直に男性にお任せします。
男性よりモタモタノロノロする分は早く起き、行動も先読みして男性達にどうにか付いて行く。

「またかよ~~」なんて言われないように、飲みものも控え,道中のトイレ休憩も少なくする。
それに勿論サバンナにトイレなんてなく、「あの木の後!」「あのアリ塚の後!」なんて、マサイの戦士に指示される。この辺りのアリ塚は何メートルも高さがある巨大なもの。
でもライオンにお尻を噛み付かれるんじゃないかとドキドキハラハラ・・・。
「Mizko、サバンナでご用足し中に、ライオンに襲われる!!」なんていう事だけは勘弁して欲しい。
しかし東京を旅立つ前に、タンザニアのスタッフからメールが来ました。「いつでもどんな時にもあなたを全力で守ります。だから安心して来て下さい」と。
いつも一緒に行動したマサイのJは、私の滞在中一度もこの言葉を裏切りませんでした。

この日記でもちょっと彼のことを記したことがありますが、マサイJとの出会いと友情はまた次回お話したいと思います。











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